訪問看護で体験したエピソード~主任ケアマネに聞いてみた~
訪問看護の事業所も、介護保険サービスのひとつで、年々その受容も高まってきています。
その背景には、高齢者が増えてきたことはもちろん、保険制度の改正等により、今までであれば、病院に長期入院しているような医療ニーズの高い利用者も、在宅療養になったことも大きいと思います。
前回の訪問介護に続き、今回は主任ケアマネのKさんから聞いた訪問看護の事業所についてのエピソードを書こうと思います。
訪問看護を選ぶ視点
「事業所を選ぶポイント」の記事の中で、訪問看護を選ぶ視点は、
- 主治医との連携がとれ、主治医の方針を理解した上で、必要時に軌道修正ができる
- 生活状況に応じた医療の提供ができる
- 本人や家族に安心感を与えることができる
と、Kさんから3点ほど教えてもらいました。
Kさんの話では、「訪問看護事業所の選び方は本当に難しいですよ。まして相手が医療面での不安を抱えている利用者や家族なので、なおさらです。また、いくら事業所がしっかりしていても、担当する看護師により、利用する本人や家族が穏やかに過ごせなくなることもあったりしますからね。」と、Kさんの体験談を聞かせてくれたのです。
訪問看護師の言葉遣いにびっくり!
ケアマネのKさんが、訪問看護と言えば思いだすエピソードがあるそうです。
それは、在宅で療養生活していた90代の利用者Tさんに、訪問看護のサービスを入れるよう主治医からの指示があり、ある訪問看護ステーションに依頼することになった時のこと。
当時、まだ担当地域に訪問看護ステーションの事業所がほとんどなく、多くのケアマネが、訪問看護の事業所を選ぶこともできなかったそうです。訪問看護の調整も終わり、担当する訪問看護師と一緒に訪問をすることになりました。
Tさんを担当することになったのは、まだ20代後半の女性看護師。ベッドで臥床していたTさんの顔を見たその看護師は「Tさん、どうしたぁー?」「ふーん、そうなんだー」「こうした方がいいかもよー」と、話を始めたのです。
90代のTさんが、初めて会った20代の訪問看護師に、まるで小さな子どもあやすみたいに言われているのを見た家族は、本当にびっくり。往診医の先生でさえ、意思の疎通ができなくなりつつあるTさんに対し、きちんと敬語を使って話をしてくれているのに・・・。
そばで聞いていた小学生のひ孫も「おじいちゃん馬鹿にされてるみたい」と、後で話をしていたそうです。たとえ訪問看護師でなくても、普通に考えて、年上の人にこの言葉使いはないでしょうと誰もが思ったほどでした。
その後家族の意向により、担当者の交代になりました。
最期はみんなで笑った・・・
一人暮らしのYさんが、終末期を迎え、自宅で最期を迎えることになりました。それまで遠方に住み、疎遠状態だった娘さんたちも、交代で自宅に泊まりこみ、母親であるYさんの世話をすることになりました。もともと頑固で、誰の世話にもならないと95歳を過ぎても、一人暮らしを続けていたYさん。娘さんたちとの確執もあったようで、正直みな心良く感じてはいなかったようです。
しかし、交代で泊まり込みをするようになってから、毎回援助に来る訪問看護師から聞く、母親の娘さんたちに対する思いを知り、少しずつ娘さんたちの気持ちに変化が見られるようになりました。
そして、最期は家族みんなで看取ることができたのです。最期のエンジェルケアを担当の訪問看護と家族で一緒に行ない、きれいになった瞬間に、いきなり本人の義歯がポロリと外れ、その口元がにっこりと笑ったように見えました。
あの時のみんなの泣き笑いする場面が、今も忘れられません。訪問看護師は、Yさんとその家族をつなぐ役目もしっかりしたのです。
ベテランの看護師だから良いとは言えない
ある利用者さんの担当は、看護師歴が長く、ベテランの域に達している看護師でした。何かあるたびに、ケアマネの私にも、「ああしたほうがいい」「こうしたらダメ」など、本当に細かいまで提案をしてくれていました。
もちろんプランを作成しているケアマネとしては、その提案の中で、必要がないと判断したことについては、そのまま経過を見ることもあったのです。
しかし、ケアマネに提案したことが実行されていないと気づくと、無視をされたと怒り始め、利用者や家族に訴えたり、他のサービスの担当者にまでも、色々と指示を出し始めたのです。
看護ステーションの所長にその話をすると、うちの看護師は何も悪くないとの話になり、最終的には看護ステーションごと変更せざるを得ない状況になったのです。
まとめ
訪問看護師の業務には、病院の看護師とは一味違う魅力があります。 Kさんは、訪問看護師は「治療をすること」以前に、利用者さんやその家族に寄り添い、生活を支えていくことが重要だと思うと、話してくれました。
私もKさんの話を聞きながら、その通りだなあと感じました。もちろんそこには、人と人の関係の中で、相手に不快感を与えない当たり前の基本的なルールが守られることが原則だということも併せて理解しました。